以前より子ども教室の受講生から
「先生、画家ってどうすればなれますか?」
また、一般の受講生の方からも
「先生は、どうしてこの世界にはいったのですか?昔から画家になりたいと思っていたのですか?」
とのご質問をいただく事がございます。
正直、私自身「画家」という職業についてなかなか意識をする事はそうありませんが、画家としての意識を少なからずしている事は事実です。そこで、私の現在までの経緯について簡単に書きたいと思います。
そもそも画家というものについてですが、学生時代に大学の先生に同じような質問をさせて頂いたところ
「画家というのは画業だけで生計を立てている人の事だとすると私は画家ではなく大学職員です」
とおっしゃっていた事を覚えています。もちろん大学で教鞭をとられている先生方は、その世界では実績があることはご承知の通りです。
また、東京藝術大学で教鞭をとられていたある先生が退官をされる時に
「ようやく画家になれます」
とおっしゃっていたとのお話を聞きました。
その様な事を踏まえますと、現在日本画の展覧会へ出品をしたり個展の開催や画廊の企画展への参加をさせて頂いておりますが、私は決して画家とはいえないかもしれません。たしかに画家という職業は曖昧なところがあり自分で画家といえば画家となるのでしょう。
もしかすると私が日本画家と意識する時は確定申告の職業欄に「日本画家・高校非常勤講師・絵画教室講師」として申請をする時かもしれません(笑)
世間一般に画家とは『絵を描くことを職業とする人』の事をいうかと思いますが、画を描き続けているという環境の中で収入があるという事では画家なのかもしれません…。現在まで絵を描き続けている一つの要因としては大学院修了後に「大学の教務補助」「高校の非常勤講師」「教室の開設」などの仕事をして制作が出来る環境づくりをした事だったかもしれません。もちろん制作をする為には画材代や生活をする上での収入も必要となります。その他、制作をする時間も重要な要素となってきます。私の場合はどのような状況でも収入や時間を踏まえた上で制作をする環境を優先的に考えてきた事は事実です。また、2015年から1年半掲載されました山形新聞社の直木賞作家である高橋義夫先生の連載小説「最上義光」の挿絵を担当させて頂いたことも本当に忙しく大変でしたが現在も日本画を制作する上での糧となっていると思います。
いい画を描きたい、絵を描き続けたいという気持ちがここまで日本画を描き続けてこれたのかもしれません。
様々な経験を重ねながら現在も日本画を描き続けていられるという事は幸せな事だと感じております。
私としては自分が画家かどうかについてはあまり意識をすることはありませんが、これからも精進をして一作品ずついい作品を制作していければいいのかもしれません。